「何、読んでるの?」
頭上から声がしたので、バルフレアが目を向けると、アーシェが興味深そうに覗き込んでいた。
「もう、仕事は終わったのか?」
本を閉じて声をかけると、アーシェは隣の椅子に座った。
「ええ。政務時間は、午後三時まで。今日の分は全部片付いたわ。」
彼女は、笑顔で頬杖をつく。
ふと、窓の外を見ると、既に陽が下がっていた。
(もう、こんな時間か・・・。)
がらんとした書庫には、書司と自分とアーシェしかいなかった。
ソリドール家直々に派遣された機工士という立場だけではなく、アーシェの客人であるということが、バルフレアの立場を自由にしており、これまでとても立ち入れなかったラバナスタ・アカデミーの書庫の出入りをバルフレアは許可されていたのである。
***
―― おいおい、これは宝の山だぜ。 ――
初めて書庫に足を踏み入れたときには、感嘆の溜息が出た。
アルケイディス・アカデミーが、機工学や物理学等、現代技術関連の分野を得意とするのに対し、ラバナスタ・アカデミーは、古代ガルテア人が残した歴史学、文学を中心とした書物の分析を得意分野としている。
そのために、他国では所有していない文献も閉架書庫に多く所蔵されていた。
バルフレアの近年の興味は、伝承や伝説から秘宝を探しだすことに移っており、いかにしてこれらの情報収集を行うかに骨を折っていたのである。
それが、労することもなく、目の前の棚に溢れかえっているのである。
―― 読まない ‘手’ はないだろう。 ――
以来、連日、通い詰めで書庫に篭っているのであった。
***
「――で、今日は何か言いたいことがあるんだろう?」
「どうして、そう思うの?」
「そりゃあ、顔を見ればわかる。」
アーシェは不思議そうな顔をして、自分の顔を触っている。
お前は、顔に出るんだって・・・。
気をとりなおしたのか、アーシェは目を大きく開けて、バルフレアに迫った。
「実はね、『豊穣祭』の女神が決まったのよ!」
「『豊穣祭』?」
そういえば、こないだ読んだ本に書いてあったかもしれない・・・。
「豊穣祭って言うのは、ラバナスタで年に一回開かれる祝祭なの。乾燥していて実りが得られにくいダルマスカだからこそ、秋の恵みの時期に、その収穫に感謝、祝いをする――そのための祭礼なのよ。」
思い出した。
そんなことが書いてあった。
アルケイディアでは、あまりそういった行事が行われていない。
キルティア教があるくらいだが、あれも所謂宗教っていうよりは、キルティア教の祭儀を共有することで、派閥や階級を超えて帝国民としての自覚を強めるためのもの、といった感がある。
しかし、ダルマスカでは、やれ「古代ガルテア人の〜」とか「古き神々の時代には〜」といった伝承・伝説が未だに語り継がれ、‘祝祭’という形で具現化している。
ところが、そんな伝承は山ほどあるものだから、毎月のように祝祭が行われているのが現状だ。
「ああ、思い出した。――で、‘今月’は『豊穣祭』なわけだな。」
どうせ毎月やっている祭りの一つだろう、とでも言いたげな顔をしたバルフレアに、アーシェは少しむっとしながらも話を続けた。
「今年の、豊穣祭の女神は、誰だと思う?」
「さぁ?」
考える気もなさそうなバルフレアの返事も気にせず、アーシェは意気揚々と答えた。
「なんと、パンネロなのよ!」
***
古来より、万物を生み出す聖なる力に、人々は女性性を見出していた。
自然に委ねられた、その実りに対し、大いなる畏敬と感謝の意を込め、人々は目に見えない豊穣の女神を祭ってきていたのである。
その想いが、神話となり、人々は豊穣の女神を奉った。
そして、いつからか、その年に選ばれし‘女神’から祝福の舞を受け、今年の豊作の感謝と、翌年への祈念を行うことが、祭儀として定着していったのである。
「どういうわけで、お嬢ちゃんが選ばれたんだ?」
明日の祭儀に向け、王宮も落ち着かない雰囲気の中、バルフレアはアーシェに尋ねた。
「‘女神’は、満18歳以下の少女から選ばれるの。ただし、祝福の舞を習得し、その技能を師に認められた者だけが、祭祀局に推薦され、局内で厳選の上、決定するのよ。」
「舞を舞うのが、そんなに大変なのか?」
今ひとつ理解できない、といった表情のバルフレアに、アーシェは、もちろんだ、という顔をした。
「だって、一日中踊り続けるのよ?」
***
その日は、朝から大鐘が鳴り、王宮前広場には大勢の人々で溢れかえっていた。
パンネロは、髪をほどき、薄手の胸当てと短い下穿き以外は何も身につけず、広場の中央に長く敷かれた紺碧色のカーペットを素足で歩いてきた。
広場の階段を上り、最上段のアーシェのもとにたどり着くと、祭祀局の女性達が、王宮宝物庫に保管されている女神の衣装をパンネロに着付けた。
薄い山吹色のローブを身にまとうと、アーシェが同じ生地でできたヴェールを彼女にかぶせ、麦をあしらった黄金の冠を額に飾る。
「‘豊穣の女神’よ。本年の貴方の恵みに感謝すると共に、次年の恩恵を我らに賜らんことを・・・。」
アーシェの言葉にパンネロは微笑み、再び階段を一歩ずつ下りていくと、山車に乗り込む。
盛大な音楽と共に広場を出て行った彼女は、これから日が暮れるまで、ラバナスタの市内で、その舞を披露するのである。
***
「お嬢ちゃんが、今どこにいるか、すぐにわかるな。」
三時を過ぎ執務が終わったアーシェと、バルフレアは王宮から市街地を見ていた。
陽はすでに西に向かいかけていたが、音楽は相変わらず風に乗って王宮まで届くので、彼女たちの動きがすぐわかるのである。
「こんなに大きな祭礼とは思わなかったな・・・。」
意外だ、という顔をするバルフレアに、アーシェは笑った。
「ええ、この祭礼もここ二年行われていなかったけど、私の代から復活させたの。」
「いつまで、ああやって踊ってるんだ?」
「明日の夜明けまでよ。夜明けになると、パンネロがもう一度広場に戻ってくるので、彼女を王宮に招きいれて終了・・・、ってわけ。」
「しかし、いくら若いとはいえ、休みなしで踊り続けるのはきついだろう。」
「もちろん、そうよ。豊穣の女神として踊るのは日没まで。」
アーシェの言葉に、バルフレアは振り向いた。
「日没まで?さっき、『夜明けまで』と言わなかったか?」
「踊るのは、確かに一日中・・・。日没後は、彼女は‘愛’の女神になるの。愛の女神は、神出鬼没に街に現れるから、合間に休むことができるのよ。」
「なるほどね。」
まあ、豊穣といえば、農作物の話だけではなく、多産や恋愛に意味が繋がるものだしな・・・。
しかし、子供だとばかり思っていたお嬢ちゃんが、よりによって‘愛の女神’とは面白い。
バルフレアが失笑していると、アーシェが「聞いてる?」と声をかける。
「・・・え?何だって?」
「そう。もう、私は夜明けまですることがないし、市街地のフェスティバルの様子を一度見てみたいの。」
「今までだって、見たことぐらいあるんだろう?」
アーシェは、少し顔を伏せた。
「豊穣祭の日に、市街地には行ったことがないの。行っちゃだめだ、と止められてたし、見張られてたの・・・。」
たかが祭りぐらい行かせてやればいいのに。
随分、過保護なことだ――。
バルフレアは肩を竦めて、溜息をつく。
「いいだろう。俺が連れて行ってやるよ。」
「本当!ありがとう!そう言ってくれると思ってた!」
こいつ、確信犯だな・・・。 まあ、こんなに嬉しそうな顔が見られるなら、たまには悪くない。
「じゃあ、支度ができたら、俺の部屋に来い。」
そう言って、バルフレアは、自分にあてがわれている客室に向かった。
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