(いやに寒いと思ったら、雪が降っていたのね・・・。)
アーシェが、部屋の窓を開けると、うっすらとした月明かりに照らされた粉雪が、銀色に瞬いていた。
毎年、この時期になると神都ブルオミシェイスではナルビナ戦役の慰霊祭が行われる。
ナルビナ戦役以降も大きな戦乱が起きてはいるが、今世紀における大きな戦渦の引き金とも言えるのがナルビナの事変であり、未来に引き継ぐべき戒めの象徴として、催しが例年行われているのである。
アルケイディア帝国のラーサーとブルオミシェイスの大僧正が運営を取り仕切っているので、アーシェは客人としてのみの扱いだ。
そのため、準備の間は、特段やるべきこともない。
それだけに、待っている時間は苦痛が伴う。
決して、辛いわけではない。
ただ、生き延びている今の己を振り返り、時折、胸が締め付けられるような想いがするだけだ・・・。
今宵は、神殿の外れにある館内にあてがわれた部屋に宿泊している。
明日は、終日にわたってスケジュールが詰まっており、今晩から滞在する必要があった。
慰霊祭は、朝方から行われる予定で、昼食から午後にかけては、ラーサーが議長を務めるイヴァリース安全評議会が開催される。
終了次第、四ヶ国会議を行い、宵には晩餐会に出席するという過密スケジュールとなっていた。
でも、この地にいる間は、多忙なくらいが丁度良い。
隙間の時間は不要だ。
窓を閉めて、寝床に潜り込む。
手触りの良いシーツに足を伸ばすと、冷たい感触に襲われ、思わず身をよじる。
広々としたスペースに、一人横たわると、寂しさが胸をよぎった。
−本当に、一人で平気なのか?−
昨晩、彼に言われた台詞が脳裏をよぎる。
大丈夫よ、と笑って答えたが、本当は平気じゃない。
でも、今の私の顔を見られたくはなかった。
まだ、過去のことを思い起こしては悩む私の姿を・・・。
***
翌日は、朝から大勢の関係者が慰霊碑に集まった。
主だった国だけではなく、全土の小規模の自治体の代表も含めて集まっている。
大僧正の言葉を賜った後に、各々が献花をする。
自分の順番が回ってきた。
(父様、母様、兄様・・・。私はちゃんとやれている?)
胸の中で呟きながら、そっと花を掲げる。
――何も聞こえない。
彼らは、ただ、私の記憶の中で微笑むだけ。
荘厳な音楽が背後で流れる中、空を見上げる。
雲一つない、透き通るような青空だ。
そして、今は亡きあの人に、私は答えの得られぬ問いを発する。
(ねえ、今の私を、あなたはどう思う?)
時は残酷だ。
ラスラが亡くなったあの日のことは、今でもはっきり覚えている。
絶望と憎しみに全身を囚われ、それ以外のことが全く考えられなくなったあの時を・・・。
怒りは、私に前進する力を与えた。
何も知らなくても、何もできなくても、兎に角、縋れる力と言葉があれば、それを頼みに歩み続けた。
しかし、怒りは、瞳を曇らせる。
判断が歪み、時には他人を傷つける。
私の判断の迷いは、結果として腹心を亡くし、更なる戦渦を引き起こした。
表向き、強がってはみたものの、迷い悩む私を支えたのは、仲間であった。
そして、いつの間にか、‘彼'を心の拠り所としていたのだ。
彼の手を、自ら取った時、罪悪感がなかったかと言えば嘘になる。
夫への想いはどうなる?
誰のために、ここまできたの?
私の気持ちは、こんなに軽いものだったの?
何回も、心の中で自問自答を繰り返した。
でも、私は自分の気持ちに嘘をつくことはできなかった。
私は、彼に惹かれていて、そして彼を支えにしている。
その事実に変わりはなかった。
後ろめたさを感じつつも、溢れる感情を誤魔化すことはできなかった。
時は流れ、私は新たな記憶を積み重ねる。
過去を思い出すことは減り、徐々に記憶の層の下へ、更に下へと埋もれていく。
彼を想い、共に過ごすとき、私は'今'の感情に身を任せることができる。
しかし、慰霊祭は別だ・・・。
埋もれさせた十七歳の私の記憶に向き合わさせる。
普段、目を向けることのない'昔'の私――。
(お前は、ずるい女だ――。)
そう、自分自身に言われているような気がしてしまう。
――自分一人だけ、幸せになって。――
己を責める言葉だけが、頭に響き渡る。
胸の中に鉛が溜まるような感覚に、息が詰まっていく。
***
午後の評議会と四ヶ国会議は、滞りなく進められた。
各自治体はより大きな権限を求めているが、各々の地域を統制するためのシステム整備や民族間の意見調整に難航しているのが実情だ。
特段、争いは起きていないが、人というものは、己の権利と欲望にどうしても振り回されがちである。
四ヶ国会議も同様だ。
表立っては平和であるが、各国内に、他国への影響力や権利を拡大したいという勢力があり、いかに彼らを抑制するかに、為政者達は尽力している。
人間という生き物は何と難しいものなのだろう。
私自身は、いい腹心に恵まれ、自国においてはあまり問題が発生していないが、恐らく、父である先王の為政が本当によかったからだと思う。
今のダルマスカの姿を守り続けるのが私の義務なのだ、と責務の重さを改めて噛み締める。
***
夕刻からの晩餐会では、多くの人から声をかけられ、挨拶を交わした。
ダルマスカの女王として、私は笑みを湛え、慈愛と安寧への想いを口にする。
(あなたにそんな資格があるの?)
嫌な台詞が、時折、頭を掠める。
無理やり、言葉を打ち消し、心の中に渇きを感じながらも、フロアを歩く。
軽やかに、優雅に・・・。
それが私のあるべき姿であるかのように――。
***
晩餐会が終わったのは、夜も大分更けてからであった。
アルシドやラーサーに、もう少し一緒にどうか?と誘われたが、とてもそんな元気はない。
体調不良を理由に、やんわりと断って、廊下に出る。
誰もいない暗い空間に、凍てつくような空気が漂っていた。
(なんて寒さなの・・・。)
この土地の、この季節は、いつ来ても馴染むことができない。
足元を絡め取るような冷気は、沈んだ気持ちを増幅させる。
(早くラバナスタに帰りたい・・・。)
重い足取りで、部屋に向かった。
***
自室に向かうと、扉から明かりが漏れているのが見えた。
(誰が明かりを?)
訝しみながら扉を開ける。
部屋の中央に据えられた長椅子に横たわって寝ていたのは彼だった。
開閉の音に気づいて目を覚まし、こちらを見ている。
(そんな瞳で私を見ないで・・・。)
いつもの私だったら嬉しく感じるその眼差しも、今の私には鋭い矢のように突き刺さる。
無意識に――、いや違う。
意識的に私は目を逸らしていた。
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