「随分、遅かったじゃないか。」
彼は、長椅子に横たえていた身体を起こし、座りなおした。
部屋は程よく暖まっており、彼が随分長い間待ってくれていた様子がうかがわれる。
「ええ、晩餐会に出ていたから。」
私は、長椅子の後ろを通って、鏡台に向かった。
鏡台の前に座り、装身具を外そうとすると、彼がすっと近づき、私の背後に立った。
うなじに手をかけ、ネックレスの止め具を外してくれる。
「ありがとう。」
「いや、別に。」
力なく答える私に対して、彼はそれ以上、何も言わなかった。
「今日はどうしていたの?」
本当は、そんなことを聞きたいわけではないのに、なぜか話を逸らしてしまう。
「ああ、ビュエルバに用事があったから出かけていたんだ。その帰り道に寄っただけだ。」
ブルオミシェイスが帰り道のはずないじゃない・・・。
決して、自分のためとは言わずに優しい態度を示してくれる彼。
いつもだったら、つい甘えてしまうのに、今日はその胸に飛び込めない。
「そう。」
気の利いた台詞も浮かばず、私は素っ気ない返事をすると、窓際に立った。
今日も、月明かりが綺麗である。
昨夜は久しぶりに夢をみた。
場所がどこか等は全くわからないけれど、私は、夢の中で誰かを探し歩いていた。
ようやく相手を見つけて、駆け足で近づき、その後ろ姿に手を伸ばす。
振り向いたのは、ラスラだった。
私は駆け寄り、その腕にしがみつく。
そう、まるで'いつものこと'であるかのように・・・。
その瞬間、私の脳裏に'彼'の姿はない。
目の前にいる、この優しい人のことを完全に消し去っていたのだ。
朝、目が覚めた瞬間、背筋がぞっとした。
自分は二重の裏切りをしているのか?
今は亡き夫に対して。
そして、今、私の傍にいてくれる彼に対しても・・・。
ふと、漏らした溜息を彼は聞きつけたらしい。
「何か飲むか?」
背後から声をかけられた。
何も喉を通らないような感覚に襲われていて、言葉が口に出てこない。
黙って立ったままの私を残すと、彼は部屋を出て行った。
窓から外を眺めると、昨夜降り積もった雪が凍っていて、そこに月明かりが反射している。
まるで、粉々にしたガラスを散りばめたようだ。
その幻想的な景色に見入っていると、扉が開き、彼が戻ってきた。
「ほら。」
彼は、微かに湯気を立てている臙脂色の液体が入ったグラスを差し出した。
受け取ると、その温かさが手のひらに伝わってくる。
「これは何?」
「ポートワインを温めてきた。他にも少し加えたが。」
香りを嗅ぐと、柑橘系の匂いがふわりと漂う。
指先で温もりを堪能してから、グラスに口をつける。
一口含むと独特の甘みが口の中いっぱいに広がってきた。
「甘くて、美味しい・・・。」
思わず、口元をほころばせる。
「寒い時には、これくらいが丁度いい。」
二人で立ったまま、ワインをゆっくり味わい続ける。
グラスが空になる頃には、程よいアルコールが全身を巡り、体温が少し上昇したような気がしていた。
かじかんでいた指先もすっかり温まっている。
「美味しかった。ありがとう。」
「じゃあ、よかった。」
彼にいざなわれ、長椅子に腰をかける。
半人分程度の隙間をあけて、彼も右隣に腰を下ろした。
「アーシェ。」
「何?」
「辛いのか?」
心なしか彼の顔はどことなく悲しげであった。
『違う』と言いたいのに、うまく言葉が繋げず、私はただ沈黙を続けていた。
沈黙を破ったのは、彼だった。
「この地が、お前にとって特別な場所であることはわかっているつもりだ。だからこそ、一人で来たいのだろうと思って送り出した。でも、言っておくべきことがあると気づいて、ここに来たんだ。」
私は顔をあげて、彼を見つめた。
「俺は、何も後悔していない。」
真っ直ぐに私を見つめる瞳から目が離せなかった。
「ラバナスタにいることも、昔の名前を使うことも、お前の傍にいつづけることも・・・。」
「私も・・・。」
「ん?」
「私も、別に後悔しているわけじゃないわ。」
彼の隣にいることが息苦しくなり、長椅子から立ち上がって、再び窓際に寄る。
「あなたに出会って、生きる望みを与えられ、責務を全うし、一時々々を充実させて生きていると思ってる。でも、この地に来ると、なぜか罪悪感のようなものを感じてしまうの。私自身の欲深さのようなものに対して・・・。」
「・・・。」
「貴方が私のために注いでくれる気持ちをいつも感じている。でも、私はそれに見合うものを示せているの?貴方のために、何かできているの?」
喉まで出かかったけど、言い出せなかった言葉があった。
−貴方を夫の身代わりにしてはいないだろうか?−
その台詞だけは言ってはいけない。
言葉をそっと胸に押し殺す。
俯き、じっとしている私のもとに、彼は近づいてきた。
「言っただろう。後悔はしていない、と。」
肩を抱かれて、広い胸元に顔を寄せる。
「過去は過去に過ぎない。」
目頭が熱くなった。
「だからといって、過去を切り捨てろとも言わない。過去の記憶があり、それがあっての'お前自身'だろう?」
察していたのね、私が此処で何に想いを馳せているのかを。
そして、私が苦しんでいることも・・・。
不安でいっぱいだった胸の中に、温かな気持ちが溢れ出す。
涙が零れ落ちるのを止めることはできなかった。
「未来は、生きている俺たちで、これから紡げばいい。俺にもお前にも過去はある。でも、俺は、お前と歩みたいから此処にいる。ただ、それだけだ。他に理由がいるのか?」
私は、ただ、首を振るしかなかった。
ごめんなさい・・・。
あなたにも、辛い過去があったのに。
あの戦役を思い出すことは、あなたにとっても苦しいことなのに。
その爪痕を残すラバナスタに、貴方が居続けてくれることに、どれだけの深い想いがあったのだろう。
私はいつも自分のことばかりで、貴方に甘えてばかりで――。
「お前は、なぜ俺といるんだ?」
顔をあげると、彼が節目がちに私を見つめる。
心配しているの?
私が、貴方をどのくらい想っているのかを?
「私は・・・、」
問われると、うまく言葉が出てこない。
「貴方が、必要だったから。」
彼の瞳孔が少し開いた気がした。
「なぜなのかは上手く言えない。でも、私にとって、貴方がいなくなることは考えられないことだったの。だから、貴方が死んだと思った後にも、貴方の言葉を思い出したり、貴方だったらどうしただろうと、しょっちゅう考えたわ。そうね、貴方といることが、私にとって大きな支えになって、大きな力を呼び起こす感じ・・・。上手く言えないけど、貴方が必要だから一緒にいるのよ。」
言い終わるかどうかのうちに、抱きすくめられ、息が詰まってしまった。
「バルフレア?」
「その言葉で十分だ。」
ただ、抱かれたままなのに、全身の緊張が解けていくのがわかる。
背中に手を廻し、彼の匂いに包まれながら、心が穏やかになっていく感覚を味わう。
私は確かに、ラスラを愛していたし、今でも愛している。
夫は私の心の中で生き続けているのだ。
でも、今、私は確かに、彼と共に生きる喜びを感じている。
−私、もう一度、幸せになってもいい?−
そんなことを考えながら、時間が流れるままに、身を委ねる。
「アーシェ。」
「なあに?」
「俺も、お前と同様、過去に縛られていた人間だ。」
「ええ。」
「俺たちは似たもの同士だと思わないか?」
思わず、くすりと笑ってしまった。
「そうね、似ているところもあるかもしれないわ。」
両頬を、彼の双手で挟まれ、上を向く。
「すぐ、そうやって、憎まれ口をたたくんだな?」
目を合わせ、二人で笑いあう。
「過去にも色々あったんだ。これからは、二人なんだから、どんな波も越えられると思わないか?」
真剣な面持ちの彼に、胸の奥で鼓動が弾ける。
「ええ、貴方となら。」
彼は、私の台詞に満足気に微笑む。
「だったら、あまり心配するな。お前の未来も過去も全て受け止めるくらいの度量が、俺にはある。」
私は、彼の台詞に目を細めた。
彼の顔が近づき、その暖かな唇をゆっくりと受け止める。
「バルフレア・・・、」
「うん?」
「ありがとう。」
そう言って、私は彼の胸に顔を埋めた。
これから、様々な苦難が私たちを待ち受けるであろう。
でも、必ず彼を信じていく。
そして、彼を守っていく。
私の全てを賭けてもいい・・・。
貴方を愛している。
***
月明かりが私達をはっきりと照らし出す。
二人の未来への道を導くかのように――。
= END =
【BGM】
『Life is Like a Boat』
by Rie fu
Dedicated to Miaka Sonogi and Eri
Miume
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