ラーサーの皇帝就任式は、帝都アルケイディス内のキルティア大聖堂で行われた。
ラバナスタのものと異なり、近代的な高層建築物だが、内部のステンドグラス等は、高い技術力がなければ装飾できないものであり、繊細で色とりどりの光が内部を照らしていた。
戴冠の儀を受けるラーサーは、堂々としており、力強さを感じた。
――比類なき少年皇帝――
アルケイディス市民が誇りと尊敬を持って、彼をそう褒める様子を、帝都に入ってしばしば見聞きした。
そのたびに、アーシェは己を振り返り、やや気持ちが沈むのを感じていた。
***
「姫、ご機嫌麗しゅう。今日のお召し物も実にお似合いです。」
そう言うと、アルシドはアーシェの右手をとり、唇をつけた。
アーシェは、髪をアップにし、銀糸の刺繍が施された夜会服を身に着けており、それは彼女の艶やかさを際立たせていた。
相変わらずね・・・、と思いながら、アーシェは笑顔を返した。
「ありがとう、アルシド殿。あなたもお元気そうで。」
戴冠式が終わり、記念式典終了後の夜会の席であった。
さすがに供を連れてあるく無粋はできず、アーシェは一人で出席していたのである。
「ダルマスカの美しい華を、お一人にするなんて、紳士としてはとうてい見過ごすわけにはまいりませんな。いかがです、一曲?」
「いえ、式典で人酔いしたようですし、少し休ませて頂きますわ。」
***
アーシェは、そそくさとバルコニーに出ると、外の空気を吸って一息ついた。
(琥珀の谷では、ずっとあの調子かと思うと大変ね・・・。)
大きく嘆息をつくと、背後でくすくすと笑う声がする。
「――?」
振り向くと、ストレートの黒髪を肩まで伸ばし、眼鏡をかけ、ブルーの瞳をした青年が笑っていた。
青年は、笑いをとめて近づくと、恭しく頭を下げた。
「失礼。随分、お疲れのご様子でしたので。」
目を細めて笑う姿は、なぜか懐かしい感覚を呼び起こし、無視することもできず、アーシェは答えていた。
「覗き見ですか。アルケイディスの男性は随分紳士的でいらっしゃるのね。」
「いえいえ、美しい女性が獣をうまく撒いてきた様子が、気になったものですから、つい。」
アルシドとのやりとりを見ていたのか――。
「こうして、お話できたのも何かの縁です。よろしければ何か召し上がりませんか?」
青年は、ウェイターに目配せをし、シャンパンを受け取ると、アーシェにグラスを渡した。
互いにグラスを軽く持ち上げ、口にする。
心地よい喉越しと、そこそこのアルコール度数が身体を楽にする。
青年は博識であり、ウィットに富んだ口調でアーシェを和ませた。
「あなたは、こちらでどんなことをなさっているの?」
「しがない貿易商です。情報や物を運びあるく――。ただ、それだけの仕事ですよ。」
「どうして今の仕事を続けてらっしゃるの?家業なのかしら?」
「いえ、私は自分で事業を起こしましてね。軌道にのるまで随分時間がかかりましたよ。」
「そう。でも、自分で好きな道を選び、続けていけるなんて・・・。羨ましい・・・。」
「貴女は今の道に迷いでも?」
アーシェは、はっとした。
酔ったとは言え、見知らぬ人につい本音を言ってしまうなんて、どうしたんだろう。
「いえ、そういう生き方も素敵ですね、と言いたかったのです。何でもありませんわ。」
慌てて言い繕うと、青年が軽く微笑み、アーシェを見つめた。
「あまり、自分の気持ちを押さえ込まない方がいいですよ。」
「・・・・。」
「時には、肩の力を抜いて、感じたままになさってもいいんじゃないですか?」
前にも、そんなこと言われたことがあったような気がするが―――。
「肩の力が抜けるおまじないを教えてさしあげましょう。」
青年は、にっこり笑うと近づいて、正面からアーシェの肩を抱くと首筋に唇をつけた。
「―――!!」
「ほら、力が抜け・・・、っと!」
アーシェの平手をうまくすり抜けると、青年はするするとバルコニーの出口に立ち、手を上げた。
「元気がでましたか?」
「ええ!おかげさまで!!」
「では、失礼。――殿下。」
そういって右手を胸にあてると、青年はあっという間に見えなくなった。
(今の人、私のことを知ってたの?)
左首筋に手をあてて、ぼんやりと彼が消えた方向を見つめていた。
「アーシェさーん!」
少年皇帝が、反対側から笑顔で声をかけてきた。
アーシェは振り向き、ラーサーに歩みを向けた。
「ラーサー、いえ、陛下とお呼びしたほうがよろしいかしら?」
「いえ、私たちだけのときなら、どうぞ今までどおり名前でお呼びください。――あれ、何かありましたか?」
アーシェのややぎこちない様子をみて、ラーサーは尋ねた。
「えっ!いえ、何も。ちょっと夜風にあたっていただけです。」
「そうですか。今日は、もう遅いので明日の昼食でもご一緒にいかがですか。ご相談もあるのです。」
「わかりました。では、明日、皇帝宮にうかがいますわ。」
バルコニーを振り返っても、そこには、もう誰もいなかった。
***
就任式の翌日、ラーサーからの迎えの車にのり、皇帝宮へ向かった。
貴賓室には、すでに食事の用意がされていた。
「昨日は、ゆっくりお話をすることができず、大変失礼しました。」
「いいえ、就任式ですから、多くのお客様もお見えですし、貴方こそ大変だったでしょう。」
「確かに、少し緊張しましたが、ようやくここまで来たという安堵感の方が大きかったですから。」
二人は、それぞれの国の近況を話しながら食事を終えた。
「では、ダルマスカについては、内外共に安定しつつあると考えてよろしそうですね。」
「ええ、新しい仕組みが落ち着いて、成果が見えてくるまでには、もう数ヶ月はかかるかと思いますが、組織の編成も固まりつつありますので、大丈夫だと思います。」
ラーサーは、お茶を一口飲み、一息いれるとアーシェに尋ねた。
「――アーシェさん、貴女は女王就任について、今、どうお考えですか?」
アーシェは、一瞬躊躇したが、率直に答えた方がよいと考え、重い口を開いた。
「ラーサー・・・。実は、私――、今、就任してよいのかどうか迷っているのです。」
(やっぱり、そうだったんだ・・・。)
昨夜、何となく表情に元気がみられなかったので、ラーサーは内心そのことを懸念していたのだが、悪い予感があたったようだ。
「私、戦争が終わったばかりの頃は、ダルマスカが独立し、自由になれば、それでいいと考えていたんです。でも、この数ヶ月間、政務に取り組んでみて、私にダルマスカを背負っていくことが本当にできるのか、やればやるほど不安になってしまって・・・。」
アーシェはうつむき、弱々しい声で言った。
「アーシェさん、僕自身も皇帝職に対する不安は感じています。ただ、僕はこの任に就くことをずっと前から理解っていましたし、自分がどうありたいかといったことも考えてきました。貴女は、その機会が急にやってきたことで戸惑いを感じてらっしゃるのではないでしょうか?」
「そうかもしれません。毎日、どうすることが王家の義務を果たすことなのか・・・。そのことで頭がいっぱいになっていて、自分でもどうしていいのかわからなくなっているのかも・・・。」
「ご自分の‘役割’にあまり囚われなくてもいいのではないでしょうか?あなたは、あなたのままでいいんですよ。民は、他の誰でもないあなたを見ているのですから。」
――感じたままになさっては?――
ふと、昨日の青年の言葉が蘇る。
「私は私―――。そうですね。」
自分で自分を縛りつけてしまうのは、悪い癖なのかもしれない・・・。
そんなことを考えていた。
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