「さすがに、女王陛下のところへ、‘最速の空賊 バルフレア’が、でかい面して来るわけにはいかないだろう?」
バルフレアは肩を竦めると、苦笑した。
「どうして、ここへ・・・?」
バルフレアがいること自体が信じられない、といった顔をしているアーシェに、バルフレアは片目を閉じた。
「言っただろう。『シュトラールからの夕空を見せる』、と。」
「でも、私・・・。」
あれから三週間、毎日、彼のことを必死に忘れようとしてきたのに・・・。
うつむいて、躊躇するアーシェに、バルフレアは言葉を続けた。
「本気なら来い、と言ったのは、お前じゃないのか?」
その言葉に驚いて顔をあげるアーシェに、バルフレアは腕を組んで微笑した。
甘い瞳に見つめられ、心臓を鷲摑みにされたような、でも心地良い締めつけ感が胸を貫く。
目を離せず、アーシェはただ彼を見つめ返した。
「陛下、お行きなさい。」
背後から聞こえた声に、アーシェが振り向くと、バッシュの隣にナーエが立っていた。
「毎日、死んだような顔で執務をなされていては、かないません。」
バッシュと二人、からかうような目でこちらを見ている。
***
三週間前、落ち込んで帰ってきたアーシェは、以降、連日、政務にかかりきりとなり、仕事に没頭することで気持ちを誤魔化そうとしているのが明らかであった。
どうしたものかとナーエが頭を悩ませていた折、アルケイディスのバッシュから連絡が入り、事の仔細がわかったのである。
バッシュは、早々にでもダルマスカに向かいたい様子であったが、ナーエが止めていたのであった。
「陛下は、頑固者なので、今回の件は‘いい薬’です。しばらく経ってからお越しください。少しは反省して、早とちりで思いこみやすい癖も直るでしょう。」
***
こうした経過から、今日、バッシュとバルフレアがラバナスタに来ることを、ナーエは知っていたのである。
(まあ、ある程度、期間を空けないと、あの頭の固いファルツ公も外出なんて認めなかったでしょうしね・・・。)
ナーエは安堵の表情を浮かべながら、戸惑っているアーシェを見つめていた。
「では、ブナンザ公。‘試運転’とはいえ、くれぐれも輪禍に気をつけるように。」
声をかけるバッシュに、バルフレアは「心配ご無用」といった表情を向けると、アーシェの右腕に手をかけた。
「じゃあ、行くぞ、女王様。」
バルフレアに手をひかれ、アーシェはシュトラールのタラップを上がっていった。
***
「そこに座ればいい。」
バルフレアに、副操縦席を示される。
「ここは、フランの席では?」
「フランは、今日はラバナスタで‘非番’だ。それに、副操縦士がいなければ動かない飛空艇ではどうしようもないだろう?」
そう言うと、バルフレアは操縦席に着き、手際よく出立の準備をする。
「時間がない。さっさと行くぞ。しっかりつかまっとけよ。」
シュトラールのエンジンが一斉に動き出す。
爆音と共に疾風のごとくターミナルを飛び出した。
***
「行ったようね。」
小さくなるシュトラールの姿を見送るバッシュとナーエの背後から、フランが声をかけた。
「どうして、ヒュム族というのは、こうも皆、世話を焼きたがるのかしらね?」
フランは微笑みながら、バッシュに問いかけた。
「――そうだな。なぜだかは、私にもわからない。でも、互いに関わりを持たずにはいられない種族なのかもしれんな。時に、憎しみや悲しみが強すぎることもあるが、その分、慈しみや愛情が驚くほど深いこともある。振幅の激しい我々の‘心’こそが、ヒュム族の特性なのだろう。」
「貴女も、もう気づいているのでしょう?」
ナーエは、フランに問い返した。
「森を出て、ヒュム族と交わった我々には、森の声は聞こえなくなる一方。私は、恐らく貴女よりも、もっと聞こえないはず・・・。でも、その分、ヒュム族の揺れる心を感じられるようになってきたわ。その心の流れの速さ、躍動感は、まるで吹き抜ける風のよう――。あなたが、あの青年と共に旅をするのも、その風を感じる喜びを知っているからではなくて?」
フランは、ふっ、と笑い、ナーエを向いた。
「さすがに、森を出て、王家にまで仕えた‘珍しい’ヴィエラの台詞は違うわね。」
「空を旅するヴィエラも十分珍しいわ。」
顔を見合わせ、互いに苦笑した。
「ところで、いつまでここで待つつもりだ?」
バッシュが、空になった倉庫を見て、肩を竦めた。
「では、王宮でゆっくり何か飲みながら待ちましょうか?」
「そうね、シュトラールもいつ戻るかわからないし。」
「また、ファルツ公が文句を言いそうだな・・・。」
軽口をたたきながら、三人は王宮へと足を向けた。
***
シュトラールは、ケルオン大陸とオーダリア大陸の間の海上――遥か上空を西に向かっていた。
「そろそろ、か?」
バルフレアは、そう言うと、高度を一気にあげる。
雲の中を突き抜けると、操縦モードを自動操縦に切り替えた。
「アーシェ、ハッチに行くぞ。ついてこい。」
さっさと、操縦室を出て行くバルフレアの後を、アーシェは慌ててついて行く。
先にハッチを出たバルフレアの手を借りて、アーシェもシュトラールの外に出た。
「うわぁ・・・!」
見たこともない光景であった。
空と陽が雲海の向こうで溶けあっている。
パノラマで広がる不思議な世界。
アーシェが息を呑んでいると、バルフレアが背後から手を回し、彼女を軽く抱く。
「この時間、ここの空からしか見ることができない風景だ。光と闇が溶け合う――、結構神秘的な眺めだろう?」
背中から響いてくるバルフレアの声に、アーシェはただ頷いた。
「お前をここに連れてきたかった・・・。」
心臓が高鳴るのをアーシェは抑えられなかった。
目頭が熱くなってくる。
「苦しめるつもりはなかった。ただ、いつでも、お前を見守りたかっただけなんだ。」
空賊風情が関わる相手ではない――、そう思って、距離を置いてきた。
アルケイディスで、皇帝戴冠式に併せて、研究所に侵入した時も、ちょっとした好奇心のつもりで、アーシェを見に行った。何かを抱えこんで、切なそうな顔をしているのを見たら、会いに行かずにはいられなかった。
戴冠式での凛々しい姿は、遠くから眺めて、誇らしい気分にもなった。
レムレースで再会し、目が合った時、心がざわめいた。
あくまで、ただの好奇心――そう、ずっと思っていた。
知らないうちに、自分が心を奪われていたとは・・・、この、最速の空賊バルフレアが――。
アーシェの目から涙が溢れた。
もう、会えないと思っていた。
この手に触れられるなんて思ってもいなかった。
抱かれている肩が、体が、不思議と安堵感に包まれていく。
「女を泣かせるのは趣味じゃないんだがな・・・。」
彼らしい言い方に、アーシェは軽く笑った。
「俺を本気にさせたんだ。もう、冗談じゃすまねぇぜ。」
アーシェは、バルフレアに抱かれた腕の中で、彼に向き直る。
「バルフレア、私・・・。」
瞳を覗き込むアーシェに、バルフレアは微笑した。
「何も言わなくていい。ただ、‘感じ’させてくれ。」
バルフレアは、アーシェの腰に廻していた腕に力を込める。
***
空と陽は既に溶け合い、あたりは闇に包まれ始めていた。
重なる二人の影も闇に溶けていく。
空には、星が瞬き始めていた。
=END=
|